このページの目次
1.はじめに。
2.僕が海外で働く事を考えたきっかけをお話しします。
今でも以前の会社ですごく良い経験をさせてもらったなと思う点は、職業柄お客さんとの距離が近かったという事です。特に婚礼の映像制作では自分が作った映像を当日結婚式の会場で観る事ができました。そこでびっくりするぐらい号泣しながら自分の編集した映像を見てくださる方を目にした時、心の底から笑ってくれた方を見た時、喜んでくれている事が感じられた時、いつも心の中で込み上げてくるものがありました。少し恥ずかしいですがお客さんのリアクションを観て自分まで涙してしまう事もあったんです。ある時には結婚式の直後に急にお父さんを亡くしてしまった御新郎様に向けた映像を制作したり、もう余命が長くないお父さんの為に病院で結婚式をしたおふたりの以来で映像を編集させていただいた事もありました。その時に映像を納品して観ていただいた時の表情は今でも忘れられません。
最終的に7年間映像会社に勤務し、婚礼系映像だけでなはくプロジェクションマッピングやホログラム、企業CM等本当に様々な案件に携わらせて頂きました。そして、責任をもって1つ1つの案件に取り組む中で1人の映像編集者としての自覚がどんどん強くなっていきました。
同時に映像とは人を幸せにしたり、楽しませたり、何かを考えるきっかけを作る機会になったり、僕たちにとってかけがえのないとても素敵なツールなんだという事を強く実感していました。
もっと広い世界でたくさんの人に映像を通して何かしらのメッセージを伝えたいと。
その想いが自分の中で更に強くなるきっかけとなったのは網膜剥離という目の病気を体験した時です。目の違和感を感じて診察して頂いた際には手術しなければ確実に失明、うまくいっても完治するのか、そのまま視力を保つ事ができるのかもわからないというとても深刻なものでした。すぐに大きな病院への紹介状を書いてもらい次の日には入院生活が始まりました。手術はとても強い痛みを伴うもので、目に直接注射をしたりカメラのレンズを密着させて精密な検査をしたり精神的にも肉体的にもすごく苦痛を感じる経験でした。そして何より映像を仕事にする僕にとっては将来への不安を抱える事になる出来事になりました。
しかしそこで僕はまさにピンチはチャンスという言葉の通りとても大切な事に気づく事ができました。それは『もし片目を失明したとしても映像の編集は続けられる』と思えた事です。自分はそれほど強い想いを持ってこの仕事に向き合えているんだなとこの経験を通して実感する事ができました。幸い手術は成功し今も後遺症はあるものの視力に問題なく仕事ができているので、僕にとってこの病気になった事は自分の中に強い芯を作るかけがえのない経験となったと思います。
しかし当時の僕は日本の映画業界での職務経験はなく当然英語も全く喋れませんでした。最終的に7年間勤めた以前の会社では実写映像の編集やモーショングラフィックスの制作が主だった為映画で使われる様なCGの知識もなくゼロからの出発でした。それでもどうしても最高峰の舞台で自分の力がどこまで通用するのか1度きりの人生で試してみたかった、そしていつか映画館で自分が制作に携わった映画を観ながら人々のリアクションをその場で見てみたいと考えました。
そしてそこから大きな挑戦が始まりました。ある程度覚悟はしていましたが、想像を大きく上回るぐらいとにかく次から次へと大きな困難が待ち受けていました。誰一人として知り合いのいない異国の地で初期の頃は英語でのコミュニケーションもろくに取れず、現地で入学したCGの学校でも先生の言っている事すらよくわからない事もありました。新しいフィールドでの闘いなので、それまで積み上げてきたキャリアや立場など関係なく、30歳にしていきなり学生に戻るというある意味新鮮でもあり、失敗はできないというプレッシャーとの闘いでもありました。。。シンプルに考えれば自分が映画の業界で必要とされる人材になれるかという闘いです。カナダには大手のCG制作会社で有名な映画に携わる為に世界中からたくさんのアーティストが集まっているので、自分よりも若くすごく才能のある人を目にする事もよくありました。そんな時に実力不足を感じて自分の存在価値を見失いそうになった事もあります。悔しい想いもたくさんしてきました。それでもそれを自分の中でうまくモチベーションに変えてとにかく前に進みました。
もちろん就職活動はとても難しく、たくさん時間をかけて英語でレジュメやカバーレターを書き何十通もアプライを繰り返しました。そしてそれに対して返事すら来ないというのが当たり前の世界でした。ビザの期限もあり、帰国の期限が迫る中で全く結果が出ない日々の苦しさはこれまでに体験した事のないものでした。何年もかけて英語やCGをひたすら勉強して来たのに、こんなにもハードルは高いものなのかと現実の厳しさに愕然とさせられました。結果を出せず自国に帰る友人もたくさん見て来ましたし、僕自身がそうならざるを得ない状況になる可能性も少なからずあったと思います。
それでも僕はなんとか諦めずに歩を進める事ができました。
それは前述させて頂いたバックボーンが自分の中にあった事が大きかったのではないかと思っています。そして有難い事に最終的にハリウッド映画に携わるという1つの目標を達成し、現在もカナダのCGスタジオで映画の制作に携わるという思い描いていた未来の中で日々を過ごす事ができています。
そこで僕は自信を持って皆さんにお伝えしたいです。もちろん大きな目標を達成するまでには本当にたくさんの、時には諦めそうになる様な問題や課題を経験する事になります。
しかし、
『諦めずに自分を信じて進み続ければ必ず道は拓けます』
カナダでの生活も気がつけば3年、、、今でもたまにそんな生活を送っている自分が急に不思議に思える瞬間があります。日本で働いていた際、僕は英語を使って海外で映画の制作に携わる自分の姿なんて全く想像できませんでした。海外で長期の生活をする事なんて自分の人生ではあるはずが無いと。。。だからこそ、人は自分を信じて諦めず行動をした時、自分の想像のつかなかった未来を切り開く事ができるのだと強く実感しています。そして僕は今また新しい目標に向かって突き進んでいます。このブログを通してその様な気持ちが皆さんの背中を押す良いきっかけになればと願っています!!是非一緒に素敵な未来を開拓していきましょう!!!
3.海外CGスタジオ就職までのロードマップ
日本での日々
全ての始まりはここから。まずは映画業界での就職を実現するために必要なスキルを身につける為、カナダにある有名なCGの学校に入学する事を目指しました。しかし入学に際してTOEICの最低スコアが700点であるという第一の難関が待ち受けているのでした(笑) 英語が大の苦手だった僕にとってはとても大変な船出です。
よかったら僕の経歴を紹介させて頂いた自己紹介記事も読んでみてくださいね!!
初めて受けたTOEIC模試の推定スコア425-490という現実に愕然としつつひたすら英語を勉強した1年間。会社の通勤時の電車の中はもちろん仕事終わり、休日、年末年始を全て英語の勉強に捧げました。仕事を辞めてからは毎日朝から図書館やカフェに出かけ、閉館とともに家に帰るという受験生の様な生活を送っていました。仕事をしながら英語の勉強をするのはなかなか大変でしたが、明確な目標があったから頑張れたのかなと思います。
関連記事:TOEIC勉強法part1
海外で生活を始めるという事は未知との戦いの始まりでもあります。僕自身も渡航後に困らない様に早い段階から必要な資金の計画を立てたり、現地の物価を調べたりしました。
どの程度お金があれば生活ができるのか、こちらの記事(いくら準備すれはいい!?海外生活のお金の話)の記事で具体例を交えながら紹介させていただきました。
関連記事:海外で働くCGアーティストの平均給与を調べてみました
日々の英語の勉強が功を奏しついにTOEICのスコアが700点を超えました。毎回TOEICの会場では大学受験の様な気持ちで集中して試験に望んでいました。そして最終的に3月の試験では805点を採る事ができました。初めて模試を受けた時はどうやったら高得点をとれるのか想像もつかないぐらい壁の高さを感じましたが、覚悟を決めて取り組めば自分には難しいと思っていた事でも意外と乗り越えられるものですね!!当時はNOVAに通って英会話も勉強していました。
関連記事:TOEIC勉強法part2 試験当日編
初めての英語での面接は緊張しました(笑)正直面接して下さった方が言っていた事も聞き取れない部分があり、おそらく僕の話していた事もきちんと伝わっていない部分があったのではないかと思います。しかし、後日入学が決まったとの連絡を頂きとてもほっとした事を覚えています。担当の方からは後日メールを頂き、入学の前に最低6週間は語学学校等に通って集中して英語を学ぶ事を勧められました。
とても感慨深い、大変でもあり、学べた事も非常に多くストイックな7年間。映像が持つ力を身をもって知る事ができました。ここで映像制作という仕事に誇りを感じられたからこそ、僕は大きな目標と信念を持つ事ができたのだと思います。仕事も辞めてこれで後戻りはできないなと気合いが入りました(笑)
やってみて初めてわかりましたが、海外に転居するにあたり行わなければならない手続きもたくさんあります。渡航前は特に色々と忙しくなりますので計画的に準備する事をオススメします。
関連記事:知らないと損!?海外で働く前に準備すべき事10選
留学が始まる
TOEICのスコア目標を達成し、面接もなんとか通過。そしてようやく海外留学という第一歩を踏み出した2017年の夏。バンクーバーのダウンタウンに降り立った際、誰一人として知っている人がいない街を眺めながら心細さを感じました。そして同時に新たな生活が始まるワクワク感も。ついに挑戦が始まったんだなと気持ちを新たにしました。
関連記事:カナダで3年間生活し、仕事をしてみた結果
関連記事:知らないと人生が大きく変わってしまう!?ワーホリについての情報と経験をまとめました
ビザの問題は海外就職や生活に置いてとても大事なトピックになるので、ぜひ読んでみてくださいね!!
切符の買い方、スーパーの場所、SINナンバーや州の保険の手続き等、何もかもが手探りで落ち着かない日々を過ごしました。その中でも家探しはなかなかいい物件が決まらず大変でした。バンクーバーは家賃が高くそして日本人留学生も多いので、いざアポをとって家の見学に行ってみると自分の他に10人程の日本人が集まっているなんて事も。。。笑 その際は勝っても負けても恨みっこなしという事でじゃんけんで誰が契約できるか決める事になり見事に撃沈しました(笑) その後、優しい大家さんと出会い、家の一部屋を借りられる事になったのですが、すでに借りられている方が引っ越すまで2週間程待たなければならなくなりました。僕が困っていると大家さんが倉庫として使っていた階段の下のスペースを待っている間に使っていいよと提案して下さったので、畳1畳ほどの本当に狭い空間で2週間過ごす事になりました。まさか30歳を過ぎて自分の人生の中でハリーポッターの階段の下の部屋の様なところに住む事になるなんて人生は何が起こるかわかりませんね!!笑
関連記事:カナダで日本食を購入できるお店一覧
スキルを磨いた1年
入学初日の緊張感は今でも忘れません。そしてあんなに勉強した英語が全く通用しなかった挫折感も。。。笑 CGアーティストとして映画に携わる為には学ばなくてはならない事が果てしないぐらいたくさんあります。今ならわかりますが、正直映画制作に携わる為に十分なスキルを1年間で学ぶのはかなり厳しいです。英語とCGの勉強をひたすら繰り返す日々。。。観光に行くこともなく、家と学校の往復の1年。しかし自分の目的は海外で映画に携わる事だったのでそれは当たり前です。学校は日によっては3時間の授業が3回で計9時間の日もあり、もちろんそれだけでなく深夜まで学校に残って勉強しました。家でもとにかく勉強に時間を割く様にしました。週末に大量に料理を作り冷凍して作り置きしてひたすら勉強とデモリールの制作だけに集中できる環境にしました。徹夜に近いぐらい根詰めて取り組んでいた時期もあり精神的にも体力的にも大変でしたが、なんとか乗り切る事ができました。そのおかげで32歳でもらった卒業証書はとても新鮮で想いの詰まった宝物になりました。
関連記事:CGアーティストとしてハリウッド映画に携わる為に学ぶべきスキルとは
関連記事:MAYAショートカット28選まとめ
関連記事:Zbrushおすすめショートカットまとめ
関連記事:MAYA パイプやチューブの作り方
現地での就職活動
とにかく最難関だった現地での大手CGスタジオヘの就職活動。時間をかけて英語で履歴書やカバーレターを書いて何十通も応募を繰り返すも返信すらない事が当たり前です。何度心が折れそうになった事かわかりません。現地のCGスタジオが参加する就活イベントにも何度か足を運び、実際にリクルーターと話をする機会もありました。しかしたくさんの行動とは裏腹に結果はなかなか出ませんでした。ビザの期限もあり、就職できずに日本に帰国しなければならないという未来も十分に有り得ました。そしてそんな仲間もたくさんみてきました。本当に苦しい状況の時に諦めずに頑張りきれるかどうかが大事なんだと心から実感しました。
関連記事:海外就活 情報収集編
関連記事:海外就活 応募書類編
試行錯誤の末に得た面接のチャンス
くじけず何十通も応募を繰り返し、ようやく面接の通知をもらった時の喜びは本当に大きかったです。しかしそれと同時に英語で面接を受けるという不安がじわじわと湧いてきました(笑)ここで失敗したら海外での就職が叶わずに帰国する事になるという恐怖がそれをより一層助長しました。
当時から現在に到るまで3年間のカナダでの生活の中で5回の面接を経験してきたので、体験談を元に日本の面接との違いや対策等をこちらの記事にまとめてさせていただきました!!
関連記事:海外就活 面接編
現地の大手CGスタジオに就職する事が決まる – モントリオールへ引っ越す-
なんと!!渡加してから1年。海外での就職を目指し始めてから2年でようやく大手CG制作会社であるMoving picture companyに就職が決まりました。この時の喜びは本当になんと表現していいかわからないぐらい大きかったです。ここに到るまでの自分の行動は間違っていなかったんだと、この時に初めて確信が持てました。今思い出しても本当に感慨深い瞬間でした。
そしてそれと同時に1年間過ごしたバンクーバーを離れ、飛行機で5時間程の位置にあるモントリオールに引っ越す事になりました。モントリオールは公用語がフランス語であり、冬は-30度になる事もあるぐらい寒くバンクーバーとは全く違う環境になります。就職が決まった喜びからまた新しい町で家探しから生活に慣れるまでの大変な冒険が始まりました。会社に手配してもらったホテルで2週間過ごした後2度引っ越しを経験してようやく落ち着いた生活ができる様になりましたが、現地の生活に慣れるまでにはかなりの時間を要しました。街並みはとても美しく、現地の人の人柄も大好きですが冬は本当に寒かったです。。。笑
関連記事:カナダにある有名なCG制作スタジオまとめ
関連記事:海外VFXスタジオのワークフロー
2019年1月。3ヶ月間の研修期間を無事に終えてついにハリウッド映画の制作に携わり始めました。右も左もわからない初めての海外での仕事に適応しようと毎日必死でした。会社内では当時ディズニーのマレフィセント2やダンボ、名探偵ピカチュウ、Drドリトル等の錚々たる映画が制作されていて、それをすぐ近くの席のアーティストの方々が編集している姿をみた時に目標が現実になる実感を覚えました。自分の行動が自分の未来を切り開くという事実が自分の心の中に強く刻まれた瞬間でした。そして海外の大手CG制作スタジオでは本当に多国籍なアーティストの方々が働いています。カナダの方はもちろんフランス、ブラジル、アイスランド、アメリカ、インド、台湾、韓国等色々な国の友達ができました。これが海外で働く事の本当に大きな財産だと思います!!様々なバックボーンを持つ同僚から得られるものは何にも変えがたい貴重な経験ばかりです。海外で働くという事を実現するまでにはたくさん大変な事があるかもしれませんが、僕はそれらに挑戦する価値は必ずあると感じています!!
カナダに来てから2度目の就職活動を行う – トロントへ引っ越す –
1年1ヶ月間Moving picture companyで働き、とても貴重な経験ができました。カナダでは日本と違い1年契約だったりもっと短期の契約という事も普通にあります。僕も1年間の契約を満了し、再び就活を行いました。そしてその結果トロントにあるMR.Xというスタジオに就職する事になりました。トロントはモントリオールから飛行機で2時間程の位置にあるカナダ最大の都市です。これでまたビザや保険の切り替えや家探し等1から新しい生活が始まりました。計7度目の引っ越しです。全て英語で新しい環境に適応するのは毎回本当に大変ですが、その都度自分の中の限界やこれは無理だと思っていた事が更新されていきます。きつい事もありますが、自分の大きな目標を達成した時の感動は本当に大きいです!!
関連記事:海外で働くのに必要な英語力とは
携わった映画が公開され、目標が達成される
初めて自分の携わった映画『野性の呼び声』を映画館で観る事ができたあの日。なんとも表現しがたい素敵な感覚がじんわりと僕の心を覆っていました。本当に大変な事が多かったからこそ、その瞬間が迎えられた事に対する感動が大き過ぎて不思議な感覚でした。こうして僕は、海外でハリウッド映画に携わるという目標を実現する事ができました。
しかしながらこれは同時に、新たな目標への一歩を踏み出すスタートになりました。僕はこれからも自分を信じて勇気を持って行動を続けていきます。
僕の個人のartstationのページはこちらです。これまで作った自主制作をアップしてありますのでよかったら見てみて下さいね!!
トロントでの生活も早いもので9ヶ月が経ちました。その間コロナウイルスの影響もあって職場の環境も大きく変わりましたが、本当にありがたい事に仕事をクビになる事もなく、現在も映画やドラマのCG制作の仕事を続ける事ができています。そして最近ではリドリー・スコット監督の『Raised by wolves』という作品に携わっていました。その制作の過程では本当に多くの事を学ぶ事ができました。
僕はCGアーティストとして更に成長してたくさんの事を発信できる様な人材になりたいと考えています。なので海外留学を決めてから4年が経った今も毎日英語とCGの勉強をしていますし、新しいパーソナルワークの制作も随時行なっています。週末も含めそれが日常です。今後も様々な事に挑戦しながらこのブログを通じて経験した事を発信していきますので今後もよろしくお願いします!!
カナダに来た当時から大きな目標として掲げていたIndustrial Light & Magic Vancouverで働かせて頂くことになりました。
面接を受けた際の緊張感と入社が決まった時の衝撃はきっとずっと忘れる事はないでしょう。数年前Vanartsの学生だった頃の僕はこんなに早い未来でILMの一員になれる事を想像する事はできませんでした。もしも過去に戻れるとしたら、苦しんでいる自分に『このまま頑張り続けていればきっと良いことがある』と伝えてあげたいです。
数年ぶりに戻ってきたバンクーバー。カナダに来て誰一人知り合いもおらず何もなかった自分がいた場所に、たくさんの大切なものを抱えて帰ってくる事が出来ました。すごく感慨深い気持ちで懐かしい街並みを散策しました。
ILMに入社してみて自分よりもスキルや才能のある方が沢山いる事を改めて実感させられる日々ですが、更に大きな目標を掲げて前に進み続けたいと、気持ちを新たに日々修行を続けています。
4.最後に。
例えば自分は英語が苦手なんだというそれまでの意識を克服して勉強を続ける事ができなければ、僕は現地の学校に入学する事すらできませんでした。もう限界だと思うぐらい学ばなくてはならない事があったCGの学校時代、英語がわからなくても、頭を整理しながら対策を練ってなんとかくらいつきスキルを磨きました。しかしもし僕が現地での就職活動がいくら頑張ってもなかなかうまくいかないからとそこで諦めていたら、それまで紡いてきた様々な努力も報われる事はなく映画に携われる事もなかったでしょう。目標とする大手のCG制作スタジオに就職するためにいくら返事がこなくとも試行錯誤を繰り返しながら何度も何度も試行何十通も履歴書の応募を繰り返し、諦めなかったから道が拓けました。周りの人がなんと言おうと、目標に向かって正しい道を選択して諦めずに歩を進めれば必ずゴールは近づきます。これは事実なんです!!
しかしながら挑戦に際して直面するたくさんの課題の1つ1つが簡単に解決できるものではないことも事実です。特に英語やビザの問題を解決していくにはもちろんお金や時間がかかりますし、年単位でしっかりとした計画と毎日継続した努力が必要になります。また、その様な大きなトピックに限らず、海外で新しく生活を始めるということは同時に色々な問題との戦いとの始まりでもあります。
例えば単純に買い物に行く、銀行口座を作る、携帯電話の契約をする、年末調整の手続き、家探し、電車に乗る、美容院を探す、就職活動をする、、、今まで当たり前の様に特に考えることもなくできていた様な事も英語や他言語で行うとなると1つ1つが挑戦です。
僕自身も何度も何度も諦めそうになった瞬間があります。
その1例として上述の通り僕はカナダに来てから現地での仕事に合わせてバンクーバー→モントリオール→トロントと3つの都市での生活を経験し、これまで10回近く引っ越しを経験しました。毎回全てが新たな挑戦であり、たくさんの困難に直面してきました。モントリオールでは冬には-30度を超える極寒の中での生活も経験しました。その様な困難を乗り越えて来たからこそ、そこで得た結果は僕にとって何にも変えがたい喜びになりました。そして大変な事と同じぐらいすごく素敵な経験もたくさんしてきました。自分が勇気を持って行動すれば自分の予想しなかったたくさんの素敵な未来が拓けていきます!!
今後も役立つ情報を発信していくのでTwitterフォロー是非よろしくお願いします!!!
関連記事:海外で働く為に必要な英語力
関連記事:海外VFXスタジオのワークフロー
アニメ面白ネタまとめ記事もありますので、仕事で疲れた時は楽しんでみてください!!笑